三部会

三部会とは

三部会は、フランスにおける身分制議会で、中世から近世におけるフランスの3つの身分の代表者が集まって、国にとっての重要議題について議論する場であった。3つの身分とは、第一身分(聖職者)、第二身分(貴族)、第三身分(平民)で、各身分に1票の議決権が与えられた。

1789年の「三部会」が開催された経緯

三部会は、政治や戦争、宗教など様々な議題について議論される場として、1302年以降、数年ごとに開催されていたが、ルイ14世が統治する「絶対王政」期以降は、開催されていなかった。

しかし、ルイ16世統治時代の1789年に、税制改革について議論する場として、実に175年ぶりに開催された。

ルイ16世は、当時深刻化していた国家の財政危機を打開するために、第一身分と第二身分の免税特権を廃止しようと、名士会を開催して賛同を得ようとしたが、名士会に召集されたメンバーの大半が免税特権階級である貴族であったために、賛同が得られなかった。この時、名士会で「三部会で議論すべきである」という結論に至ったために、三部会が開催されたのだ。

三部会が国会誕生のきっかけに

1789年に開催された三部会に参加したメンバーは、第一身分(聖職者)が約300名、第二身分(貴族)が約300名、第三身分(平民)が約600名であった。

三部会では、各身分に1議席が与えられ採択する方式のため、「免税特権の廃止」という議題に対して、免税特権階級である第一身分と第二身分が反対するのは目に見えており、これでは、採択できないことになる。

そのため、採択の方式を巡って、第三身分は議員数による採決を主張。対して、第一身分と第二身分は身分ごとの採決を主張し、両者は三部会の討議前から対立したのだ。

第三身分は、「国民議会」を名乗り、三部会から分離。これに下級の聖職者たちが合流しはじめ、有名な「球戯場の誓い」に至る。ルイ16世が第三身分が会合をしていた部屋を閉鎖したため、彼らは三部会の会場近くにあった球戯場に集結して、憲法制定まで解散しないことを誓い合ったのだ。

これを受け、ルイ16世は各身分は別々に討議するよう指示をし、軍隊の準備まで行ったが、下級の聖職者に続いて、ミラボーなどの開明的な貴族たちも第三身分に合流し始めた。ルイ16世はこれを貴族と聖職者が第三身分に合流することを認め、ここに「国会(憲法制定国民議会)」が誕生したのである。

三部会議員の主なメンバー

三部会に出席する議員の選出方法は、身分によって異なっていた。第一身分と第二身分は国王に召集されたメンバーであり、第三身分だけが各地方の選挙で選ばれたメンバーで構成されていた。

三部会の議員の中には、フランス革命の中心となる人物も多数いた。恐怖政治の中心的人物となるロベスピエールは弁護士で、第三身分から参加していた。また、革命初期に活躍したミラボーは貴族の身分でありながら、選挙で選ばれ第三身分代表として参加していた。

他にも、「第三身分とは何か」の著者である聖職者のシエイエスや、フランス革命初期には民衆派であったものの、フランス革命半ばになると宮廷派となったパルナーヴも第三身分の議員の一人であった。

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